替歌:筑波大学・冬景色

※お断り※

以下の歌詞は筆者の創作でありオリジナルです。実際に流布していた歌詞の内容を示すものではありません。過去にあった歌詞の記録、バリエーション、移り変わりについて議論されたい方は、年代および当時のフレーズを添えてコメントいただけると、そのような情報を求めている方にとっては参考になるかと存じます。

昔見聞きしたものに、2000年代に在学した筆者の周囲の環境を踏まえて、特につくばエクスプレスの開通前夜、常磐線を経由してつくばに向かう人を歌う詩とした。なお、当時の原典は発見できず。

* * *

元ネタ:

上野発の普通列車 おりた時から
土浦駅は 風の中
西へ向かう人の群れは 誰も無口で
風鳴りだけを きいている

私もひとり 関鉄バスに乗り
こごえそうなカエル(※筑波山ガマの油売り)見つめ 泣いていました
ああ 筑波大学・冬景色

ごらんあれが一ノ矢宿舎 北のはずれ(※南北5キロに渡る大学敷地の北端に位置)と
見知らぬ人が 指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかに「カスミ」(※つくば市に本社を置くスーパーマーケットチェーン) 見えるだけ

さよならあなた 私は帰ります
筑波おろし(※筑波山から吹く冬の風)胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 筑波大学・冬景色

さよならあなた 私は帰ります
15単位取れなかった(※年間15単位取得できなければ除籍) 悔しさを胸に
ああ 筑波大学・冬景色

Artikel Terkait

4 コメント

Write コメント
simius
AUTHOR
9/05/2013 delete

「筑波大学春景色」の歌詞は次のようではなかったかと思います。
この唄は、1953年ころ、第二学群比較文化学類の学生の間で歌われていたのを、覚えています。

土浦駅は風の中 → 土浦駅は 晴れていた。
風なりだけを→軍艦マーチを
(当時、駅前に司デパートという、店があり(デパートではありません)
 そこで、軍艦マーチや軍歌を終日、流していました。)
凍えそうな自転車みつめ → 上がってゆく料金表みつめ
(バス料金が異常に髙かった)、
はるかに「カスミ」 → はるかに「吉池」
(当時は、カスミは、筑波学園地区にはなかった。)

以上、こんな感じでした。余計なこととは思いますが、大分、元歌?
のイメージから離れていっているようなので一筆まで

Reply
avatar
Anonymous
AUTHOR
8/17/2014 delete

>上がってゆく料金表みつめ

など、ご指摘の通りのようです。

替え歌の歌詞は、当時、人間学類助教授だった高倉翔先生の作と伺っていますが、正確なことは不明です。

Reply
avatar
harench horn
AUTHOR
12/25/2015 delete

入学当時流行っていた津軽海峡冬景色の替え歌として一度聞いた思い出があります。当時の学生生活によく合った歌詞で感心しました。時がたって一部歌詞が変わって歌われていることとsimiusさんの指摘で全貌が分かり面白かった。「冬」ではなく「春」なのです。その頃は大学見学などなく、入試も茗荷谷にあった教育大キャンパスで受験するので入学式直前に初めて筑波に来る学生がほとんどでした。なお、一か所当時私が聞いた歌詞と異なっているところは、
「関鉄バス」の部分が「石下行きのバス」だったような記憶があります。

当時から個人的には「軍艦マーチ」のところを「若鷲の歌」の方が合うと思っていました。「軍艦」はパチンコ店のイメージが強く、土浦は予科練の町なので「若鷲」が流れていたので。

Reply
avatar
AK
AUTHOR
12/24/2019 delete

筑波大学医学専門学群、第一期卒業の者です。「筑波大学冬景色」は石川さゆりの元歌が大ヒットした1977年当時(私が学部4年生の頃)、私達医学生も飲み会の席などで即興で作って時々歌っていました。私達が作った替え歌はここに挙げられた歌詞とは若干異なりますが、共通する部分も多々あります。替え歌の本家争いなどするつもりは毛頭ありませんが、当時、筑波大学は都心からの交通の便が非常に悪く、上野から常磐線に乗って寒々とした土浦駅に降り立った時の心境は、皆さん同じだったんだなあと感心した次第です。

Reply
avatar