tag:blogger.com,1999:blog-8481532257346350131.post8444858626283355281..comments2019-12-24T21:28:04.253+09:00Comments on detourist.net: 替歌:筑波大学・冬景色Unknownnoreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-8481532257346350131.post-51516935175647846612019-12-24T21:28:04.253+09:002019-12-24T21:28:04.253+09:00筑波大学医学専門学群、第一期卒業の者です。「筑波大学冬景色」は石川さゆりの元歌が大ヒットした1977...筑波大学医学専門学群、第一期卒業の者です。「筑波大学冬景色」は石川さゆりの元歌が大ヒットした1977年当時(私が学部4年生の頃)、私達医学生も飲み会の席などで即興で作って時々歌っていました。私達が作った替え歌はここに挙げられた歌詞とは若干異なりますが、共通する部分も多々あります。替え歌の本家争いなどするつもりは毛頭ありませんが、当時、筑波大学は都心からの交通の便が非常に悪く、上野から常磐線に乗って寒々とした土浦駅に降り立った時の心境は、皆さん同じだったんだなあと感心した次第です。AKnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8481532257346350131.post-8124132394548009162013-09-05T19:17:06.000+09:002013-09-05T19:17:06.000+09:00「筑波大学春景色」の歌詞は次のようではなかったかと思います。この唄は、1953年ころ、第二学群比較文...「筑波大学春景色」の歌詞は次のようではなかったかと思います。<br>この唄は、1953年ころ、第二学群比較文化学類の学生の間で歌われていたのを、覚えています。<br><br>土浦駅は風の中 → 土浦駅は 晴れていた。<br>風なりだけを→軍艦マーチを<br>(当時、駅前に司デパートという、店があり(デパートではありません)<br> そこで、軍艦マーチや軍歌を終日、流していました。)<br>凍えそうな自転車みつめ → 上がってゆく料金表みつめ<br>(バス料金が異常に髙かった)、<br>はるかに「カスミ」 → はるかに「吉池」<br>(当時は、カスミは、筑波学園地区にはなかった。)<br><br>以上、こんな感じでした。余計なこととは思いますが、大分、元歌?<br>のイメージから離れていっているようなので一筆までsimiusnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8481532257346350131.post-58480735110177685662014-08-17T21:43:50.000+09:002014-08-17T21:43:50.000+09:00>上がってゆく料金表みつめなど、ご指摘の通りのようです。替え歌の歌詞は、当時、人間学類助教授だった高...>上がってゆく料金表みつめ<br><br>など、ご指摘の通りのようです。<br><br>替え歌の歌詞は、当時、人間学類助教授だった高倉翔先生の作と伺っていますが、正確なことは不明です。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-8481532257346350131.post-30748479209519021392015-12-25T18:53:20.000+09:002015-12-25T18:53:20.000+09:00入学当時流行っていた津軽海峡冬景色の替え歌として一度聞いた思い出があります。当時の学生生活によく合っ...入学当時流行っていた津軽海峡冬景色の替え歌として一度聞いた思い出があります。当時の学生生活によく合った歌詞で感心しました。時がたって一部歌詞が変わって歌われていることとsimiusさんの指摘で全貌が分かり面白かった。「冬」ではなく「春」なのです。その頃は大学見学などなく、入試も茗荷谷にあった教育大キャンパスで受験するので入学式直前に初めて筑波に来る学生がほとんどでした。なお、一か所当時私が聞いた歌詞と異なっているところは、<br>「関鉄バス」の部分が「石下行きのバス」だったような記憶があります。<br><br>当時から個人的には「軍艦マーチ」のところを「若鷲の歌」の方が合うと思っていました。「軍艦」はパチンコ店のイメージが強く、土浦は予科練の町なので「若鷲」が流れていたので。harench hornnoreply@blogger.com