MIT石井裕教授招待講演 in DICOMO2007

発表者として参加してきた。


発表や聴講はそれはそれとして、MITの石井教授のお話を伺い、神戸大の塚本教授にお会いできただけでも、参加した価値はあったかなと。

※お断り※

以下、石井先生の講演の内容からメモ書きを抜粋しますが、文言・表現は正確ではありませんし筆者の稚拙な解釈と要約によりますので、ここに記載されていることは真に受けないでください。

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「ユビキタスコンピューティング」

なんてのはもうとっくに「終わって」いる。Mark Weiser が最初に提唱した理念を誰も理解していないし(そのため、彼は後に「Calm Technology」という言葉を用いるようになった)、未だその実現には程遠い。

「技術」→「必要(性)」→「概念」

「技術」は数年で消えてなくなる。(「今」それが必要なのは認めるとしても)。一方(哲学に基づいた)「コンセプト/ビジョン/プリンシプル」は、これからの数百年を変える。同じ一生を費やすなら、あなたはどちらに取り組むか。

「Digital」と「Physical」

の関係→卓球。ラケットは見えていてはいけない(体の一部になるまで使いこなせ)し、しかし、ピン球は見えなければ(それも「たまに見える」ではなく、常に必ず見えなければ)ならない。そして「どっちも必要」。

「目的」

その技術を育てることが、そのニーズに応えることが、そのコンセプトを実現することが、誰をどのように幸せにするのか。

我々はGeekだ──人が、空気が薄いと息苦しいように、Wi-Fiが飛んでいないと息苦しい(会場爆笑)──が、そうでない人たち、Wi-Fiがなくても生きていける(そんなもの必要ない)人たちに対して、我々は何を提供できるのか。しようとしているのか。

「Why」

を3度繰り返され、3度繰り返し答えられたら、その人の哲学が見えてくる。

「死後」

・XX年後、自分はもういない
・100年後、今生きている人はもう誰もいない
・200年後に何が遺っているか(何を遺せるか)
・1000年後は?

* * *

ただ、勘違いしちゃいけないのは、──高校球児と松井秀喜との関係のように──彼ら(石井先生・松井選手)を目標にしているようではお話にならないのだということ。(彼らに憧れこそすれ)。僕らは彼らを「超え」(ようとし)なければならない。

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おまけの名言:「もし、論文がどの学会にも通らなかったら、ハリウッドに持って行け」

「マイノリティ・レポート」で表現された実物的ヒューマンインターフェースのアイデアはメディアラボで生まれたものだが、その原点となっている論文は、各学会にことごとくリジェクトされたという。うーん、ハードル高いっス、先生。

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